葛飾八幡宮の摂末社
ちょっと前のことだけど、忘れないうちに。
毎年初詣に訪れる、自宅から徒歩圏内の下総国総鎮守「葛飾八幡宮」。今年は参拝者も少なくなった13日に行ってきた。参拝のピークを過ぎたためか「茅の輪」が無く、くぐって昨年の穢れを清めることができなかった。仕事が順調であるよう祈願する神札を更新し、おみくじを引くと、2年連続の「大吉」。
この葛飾八幡宮の裏手には摂末社が集められている。道祖神があるというので、昨年末に参道脇の市民会館で用事があった際に行ってみたが、小さな氏神様がひとつの広場にズラっと並ぶ、展示会のような不思議な空間だった。その時は夕方で暗くて写真も撮れなかったので、この日の参拝帰りに再度散策してみた。
この門の手前を右側からぐるっと歩いていく。
摂末社は、
厳島神社
葛飾天満宮
尾上稲荷社
八坂社
浅間社
そして富士塚に道祖神。
個人や会社で建てた氏神様といった雰囲気のものが多い。
池の浮島のような造りの厳島神社に祀られた蛇とか。
尾上稲荷社の狐とか。(狐の頭の上に一円玉が置いてあったが、そういうものなの???)
立派な狛犬とか。
台座に亀が彫られた石祠とか。
厳島神社の蛇、石祠の亀はなぜそのようになっているのか今の私ではわからないが、そのうちわかる日も来るかもしれない。
そして3基の道祖神。・・・雲に乗った月と日、台座の三猿ってこれ庚申塔じゃないですか。しかし、はっきりくっきり「道祖神」と彫られている。たまたま図書館から借りてきた本に異型の習合としてこの道祖神が紹介されていたが、文字は江戸の儒学者「亀田鵬齋」という人の筆によるものだそうだ。
造立年は左から「文政6年(1823年)」、「文政10年(1828年)」、「享保15年(1730年)」。
一番右側、享保15年造立の青面金剛像(合掌型)。右手に法輪と三股叉、左手に剣と弓を持つ。上には月と日、足元に邪鬼と三猿。右に「道祖神」と彫っていなければ庚申塔と見間違う。200年~300年のうちにどんな経緯があってこのような習合体になったのか。
摂末社群と並んで一番左には、富士講や浅間講の碑や、石祠などを集めて祀った築山「富士塚」がある。