国分の庚申神社(南東側)

中央図書館の郷土コーナーで見つけた20年前の石造物資料コピーを手に、自転車で市内の石造物廻りに出かけた。

まずは市川市北西部の下総国分寺近辺。国分バス亭の東側の丘を登った一帯だ。下総国分寺の北側は新しい分譲住宅地だらけ。20年前の資料には記載されていないその庚申塔は平成12年の4月に新たに建立されたという小さな庚申神社の中に大事に納められていた。どこから移設してきたのだろう。資料に記載のある4-18番地の庚申神社とは細い道路を挟んで10m~20mほどしか離れていないはす向かいの位置関係にある。

%E5%BA%9A%E7%94%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg
所在地は国分5-7。
%E5%BA%9A%E7%94%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%92.jpg
堂に納められた青面金剛像を中心に、右側は明治34年1月の銘が入った庚申講中の石灯(破損したようでモルタルで補修されている。透かしの部分にモルタル詰まりまくり。)、左側は天保14年11月の銘が入った庚申講中の石灯。右側の石灯の後ろには丸石が置いてあったが、なんだかわからず。
%E5%BA%9A%E7%94%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%93.jpg
一面六臂の青面金剛像。(年代は堂内で背面が見れないので自分では未確認。)。石塔の形式は「板碑型」だと思う(←この辺の判断は初心者)。塔高114cm、塔幅46cm。日当たりがきつくて写真がイマイチに。上部に雲に乗った月と日。左手に法輪と弓と合掌女人、右手に三股叉と剣を持ってるのは写真で確認できるが、もうひとつが光って見えない。写真を撮って家でじっくり解析すればいいと思ったのが失敗。邪鬼を踏みつけ、下には三猿。
%E5%90%88%E6%8E%8C%E5%A5%B3%E4%BA%BA.jpg
髪を持ってぶらさげられた合掌女人(右側)。庚申の晩の男女同衾は禁忌だったそうで、そのため女性が懲らしめられるの図。この女人を俗に「ショケラ」(庚申呪文の「青鬼(ショウキ)やら」が訛った)と呼び、天帝に宿り主の悪事を報告に行く「三尸」の虫に見立てているとも。今、これを書くのに参考にしている文献2冊で説明が違う。
%E6%A1%83%E7%8C%BF.jpg
片手で耳を塞ぐ「聞か猿」が桃をささげ持つの図。