駒形墓地
堀之内地区の外環整備地は、何もなくて殺風景。20年前の資料では、このあたりに馬頭観音があるはずなのだが、これでは他の場所に移設されてるだろうなと思いながら自転車でウロウロしていると、何もない整備地の一角に墓地が残っていた。
堀之内2-20番地にある駒形墓地の中央部奥に古い石造物が集められていた。馬頭観音や肩肘をついた如意輪観音像(十九夜講や墓標に多いポピュラーな観音様)が多い。
手前の小さな馬頭観音群。
道標を兼ねた馬頭観音。「右:市川道、左:大はし道」とある。資料通りなら明治27年造。
各所から集められたと思われる大量の墓標がみっちり並べられた中、馬頭観音の頭を発見(2列目)。
庚申塔。一面六臂の青面金剛像(合掌型)。舟型というのか櫛型というのか。側面を見ると舟型なのかなとも思うのだけど・・・。自分で形状形式を判断するのは意外と難しい。塔高119cm、塔幅53cm。宝永2・・・・?年9月と彫ってあるが詳細は読めない・・・。宝永は1704~1711年。ならば宝永2年(1705年)しかありえないか。
駒形墓地の片隅には、戦時下、県道市川松戸線の国府台付近を人力で切り開く難工事で命を落とした千葉監獄所の囚人達のうち、引き取り手のない無縁仏の合葬碑がひっそりと建っているらしいが、帰宅後に調べていて知ったことなので、その石碑は見ていない。