U駿でめざしたかったこと

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私達が目指した「変化」とは、直接売上の向上を指すわけではない。同じ情報誌を制作していたメンバーでもそれぞれの思いはあっただろう。その中で私と私の旦那が目指していたのは、厩舎関係者内部になんとかしようという動きを起こしてもらうことであった。騎手や調教師、厩務員に限らず、獣医師、装蹄師、馬主、主催者、それぞれに何とかしなくてはという思いはあったはずだ。しかし、皆の思いがバラバラで、何をしたら良いのかがまとまらない。宇都宮競馬の楽しさを情報誌にまとめて発行する活動を通し、宇都宮競馬に関わる人の気持ちをひとつにしたい、というのがひとつの目的であった。

どんな競馬場が楽しいかを一番知っているのはファンであり、厩舎関係者と主催者との中立的立場で居られるのもファンである。競馬事務所も努力をしていなかったわけではない。競馬の好きな職員を募り、内部から良い案を出そうと頑張っていた。ただ、競馬事務所内で良い案が出たとしても、県営という立場上、なんでも即実行というわけにはいかない理由があったのだと思う。しかし、これがファンが勝手に起こした活動ならば別だ。「ファンがやっていることなので」という理由なら、大目に見てもらえるメリットがあり、競馬事務所からはバックアップという形で多大な協力を得ることができる。また、ファンと競馬事務所が親密になることで、ファンの希望を生の声で伝え、吸い上げてもらうこともできる。

情報誌「U駿」の活動は最初は確かに「なにこれ?」的に見られていた。しかし、毎回競馬事務所を通して厩舎関係者にインタビューを取り、ホースマンの生の姿を記事にし、コンスタントに月刊で発行し、開催日には有志自ら入場門で声をかけながらお客さんに配る、という活動はやがて、厩舎関係者、お客さん双方から認知されることになった。やがて、存続の署名活動をはじめた馬主会から声がかかり、「U駿」は署名はしても署名を集める活動自体は行わないポリシーであったが、馬主会主催の「宇都宮競馬を支援する会」の告知を載せて配布したり、宇都宮市内繁華街での署名活動の隣に宇都宮競馬を紹介する写真展やグッズの抽選などのイベントブースを出すなどの連携もできた。この時、馬主会側の署名活動に参加していた若手騎手が、U駿側のイベントブースに出張して臨時ファンサービスをしてくれたり、なんてことがきっかけで、騎手との距離も一気に近づいた。このイベントも、主催者とは全く切り離した馬主会とファン有志独自のイベントという位置付けながらも、実は密かな競馬事務所のバックアップがあったのだ。

いよいよ廃止の日を迎える1ヶ月前、競馬事務所から「U駿」で宇都宮競馬を一日プロデュースしてみないかという楽しそうなお話をいただいた。この日こそ、競馬に関わる全員がひとつになるチャンスだ。騎手のサイン会、装蹄実演、優勝馬との口取り・・・など、さまざまなイベントを成功させるため、騎手会、調教師会、馬主会、そして実演を申し出てくださった装蹄師さんに、競馬事務所から紹介をいただいて協力をお願いした。そのときはじめてお会いした騎手会長、調教師会長は「U駿」ということで快く承諾してくださり、「なんでもできることがあれば協力する」とおっしゃってくださったことが非常に嬉しかった。

無事、一日プロデュース「U駿うつのみや競馬ファン感謝祭」は成功に終わったが、この時ほど「ここからスタートなのに・・・」と悔しく思ったことはない。もしかしたら、廃止が目前に迫っていなかったらこういうチャンスはなかったのかもしれない。たった一回きりのイベントであったけど、競馬場全体の協力体制ができあがり、こんなイベントがあと何回もできれば、競馬場自体の雰囲気がもっと明るくなっていくかも・・・という手応えを感じたところが、終わりだったのだ。

金沢競馬は、廃止になった競馬場からの騎手や調教師の移籍が多いためか、幸いにも厩舎関係者内部に危機感があり、ファンを巻き込んで独自の動きを見せている。宇都宮から金沢へ移籍した調教師さんの縁で、私達が宇都宮で活動したノウハウを金沢に伝える機会があり、私たちも手伝うことができて嬉しかった。この調教師さんが、もしかしたら私達が目指していたことを受け取ってくれたのかなと思う。志半ばで終わった「U駿」の夢を、金沢の人たちがまた独自のスタイルで繋いでいくところを、楽しみに見守りたい。

[写真:廃止決定直前の宇都宮市内繁華街でのイベント。雨に祟られたが、競馬を知らなかった人達もたくさん観に来てくれた。馬が可愛いとか、騎手がかっこいいから今度応援に行くとか。それで良いのだ。ちょっと遅かったけど。]